前回の投稿で人民公園にある”広州のゼロ地点”を知り、北京路などの中心街がある理由も掴めたので、さらに東側にある文化的な街並みを散歩してみました。

【Check-Point】
前投稿”中山記念堂”の人民公園の入口にあたる(広州2号線)公園前駅からの継続になります。
(散歩終点は広州6号線の団一大広場駅)
広州おヘソから東側へ

【公園前駅】(人民公園よこ)
動漫星城(コミックシティー)
駅に通じる地下街ですが、アニメ関連のお店が多く入っています。
週末はアニメ好きの若い皆さん達が集まる場所です。

【哪吒之魔童闹海】Ne Zha2
中国アニメの最高傑作とされるNe zhaの2作目が各種の媒体間で沸騰しています。予告編を見ましたが、確かにクオリティは非常に高いようです。
かつては中国の若者たちの憧れであった”日本のアニメ”。AI技術で躍進する中国に追い越されてしまったのでしょうか?

【北京路の北側】
広東省財政庁の通り。春節の獅子舞オブジェ

【広州無形文化遺産街】
北京路と交差する東側の道
”非遺”(無形文化遺産)のお店が並びます。

陶器や絵画などの文化的商品を販売しています。眺めていて全く飽きません。あっ、見てるだけではお店が儲からないですね。失礼!

【都城隍庙】
明代に建立された広州の守り神である城隍神を祀る道教寺院。

廟の典型である「坐北朝南」に従って、北の本殿は南を向いています。
南の門が綺麗です。

【文門神、武門神】
文門神は学問の象徴。
武門神は戦いや厄除けの象徴。
参拝に来られる皆さんのそれぞれの思いを支えてくれるんですね~。

【東の青龍、西の白虎】~(風水四神)
開いた門に勇ましい絵がありました。
東の青龍は「水の流れ」を意味する発展の神。西の白虎は「防衛」を意味する戦いの神。(baidu抜粋)
お~っ!、廟の西には戦いの象徴である南越王の王宮や王墓があり、東には貿易の主役である珠江の主水流があます。 この地理的な合致が感動的です!
文徳路
文徳路は、古代から文化と教育の中心地として栄え、多くの学者や文化人が集まる場所でした。その後1920~1930年代にかけて、全国的に有名な文物古玩街として発展しました。(baidu抜粋)

絵や文字を描くのが好きという訳でないですが、なぜかお店の展示をみてワクワクしてます。

個々の絵画や陶器がとても繊細なので、これほど多く店頭に陳列されると、それが薄らいでしまって、”もったいない感”が。

【孫中山文献館】
(絵画店街の途中にいきなり現れました)
孫文記念し、氏の関連文献や資料を収集・展示する公共図書館です。元々は市立の中山図書館として設立。
景観もとても美しく”いかにも学問”という感じです。

これだけ多くの絵画があるという事は、それらを描く”画家さん”(有名無名を問わず)も大勢いるのでしょうね。

購入したくなりました。でも値札が付いていません。(高価できっと貧乏人には手が出ない額なのかもしれません)
それでも勇気を出して値段を聞きました。
手前の花の絵が800元。(JP\1.6k円ほど)

写真の縦長の絵は4つセット売りだそうです。
400元x4で1600元。 欲しくなりました!
でも、冷静に考えると美しい絵画が似合う家がないです(汗)。
あら~っ! (急に我に返る)
文德楼

さらに南に進みます。
ちょっとした路地に古い家屋が残っています。

【文德楼】
第一次世界大戦後、多くの華僑が帰国し建てた私邸中に文德楼が含まれます。共産党の広東区委の党員の住居とされ、周恩来、李之龍が住んでいました。

当時は高級住宅だったので、今は観光での”ロマンチックな場所”とされていますが、1926年の蒋介石による共産党制圧である中山艦事件が発生し、李之龍が逮捕された歴史の証人でもあります。
(何度か改装され建物はとても綺麗で、現在も普通に住民が暮らしています)



【六和新街】
文徳楼の影響があるのかもしれませんが、周りには西洋風に造られた住居がありました。(エアコン室外機のカバーも統一されています)
ちなみに物件価格を調べてみたら、平米単価:約JP\140万(2025年2月時点)
ひょぇ~ とっとと去りましょう!


清水濠~広州団一大広場

清水濠は昔はその名の如く、お城の堀があって商業の往来船が風を避ける場所だったらしいですが現在は堀は姿を消しています。

街並みがかなり古いです。
残念ながら今回はお堀の痕跡を見つける事はできませんでした。

瓶のコーラとスプライトのケースが積まれた古い家屋がありました。中に入ると年配の御婦人がいらして、「卸しなので小売はしてません」と言われました。
買うつもりでは無かったのですが、未だに瓶コーラを納品しているお店がある事が意外でした。

【広東省総工会】
古い街並みを抜け、開けた広場に来ました。
商工会のようなビルの前に来ました。
(なぜここにあるのか、以下で理由が解りました)

【省港大罷工記念館】
上海の反植民地支配への抗議運動”五・三〇運動”の支援で広東でも歴史的なストライキとなった”省港大罷工”の記念館

歴史的なゼネストは16ヶ月にも及びました。

【広州団一大記念広場】
1922年の中国社会主義青年団第一次全国代表大会(長がっ!):通称「団一大」を記念して建設された広場です。

団旗を模した赤砂岩の彫刻があります。愛国主義教育基地としての位置づけになっています。
西側にある記念館では共青団の歴史や関連する展示があります。
彫刻の裏側が地下鉄広州6号線の”団一大広場”駅なので引き上げます。
文徳路から始まって、”文”や”徳”という文字が使われる地名がこのエリアに点在しています。地名と歴史が完全に一致しているのがとても印象的でした。 失礼しました~
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