広州市の越秀区には仏教、道教などの様々が寺院が多く点在する地域があります。地図で見て「寺」が付く場所が3,4箇所集中する場所を発見したので足を運んで見ました。2024のバックナンーバーになりますが、大きくは変わっていないと思うので、広州を訪問された際には廻ってみるのも良いかもしません。

【Check-Point】
地下鉄広州2号線の記念堂駅から西に向かって光孝寺まで徒歩(約10分)。
その後の歩く経路は、光孝寺→六榕寺→懐聖寺→五仙古観
光孝寺
もともとは南越王趙佗(ちょうだ)の一族に関係する邸宅跡とされ、後に仏教寺院へと転用されました。嶺南地方で最も古い仏教寺院の一つとして、広州では観光の名所にもなっています。

光孝寺(南側)の正門
春節前の少し寒い時期で、多くの人が参拝に訪れていました。

大雄寶殿
たくさんの花が手向けられています。鑑真が日本に渡る前にこの寺院と関係が深いとされています。

「瘗发塔」
髪の毛を手にした人たちが塔の周りをぐるぐると何度も廻っていました。
禅宗六祖・慧能(えのう)がここで剃髪(ていはつ)し、切り落とした髪を埋めて供養したと伝えられています。

写真はわかり難いですが、とても成功で鮮やかな建築です。

境内に蓮池という池がありました。蓮の葉や根のようなものは見られませんでしたが、まぁ仏教の象徴である花を名前にしたということでしょうか。

正門から大雄寶殿の途中に守護神である四天王像がありました。東西に2体づつ。(四天王については割愛します)

光孝寺の前に通りは「浄恵路」という仏具店街になっています。通りはお線香の香りが周囲に広がります。

仓前街:
清代のこの地域の地図が銅板に表示してあります。

少し古い路地が続いています。

倉前街の終端です。いや先端です。逆走していたようです。

倉前街を抜けると立派な壁が連なるアリアにぶつかりました。

「将軍府」と書かれています。
清代初期に三藩の乱の際に建てられたものだそうです。
中に入りたいですが、もちろん門はしまっていました。
六榕寺

将軍府の向かいが目的地の六榕寺です。「榕」はガジュマルの木。

六榕寺塔(花塔):お寺の最大の見どころです。中に入って登ることが開放されている日もあるらしいですが、このときは開放されていませんでした。
高さ:57m(八角形九層)
上に行くほど明るくなるので、人が悟りへ近づいていく過程を、建築で表したものらしいです。

色鮮やかで花塔と言われるのがよく解ります。

北宋文人の蘇東坡が寺に立ち寄ったとき、境内にあった6本の大きな榕樹(ガジュマル)を見て、
「此は六榕なり」と言ったことが寺の名前の由来だそうです。

大雄寶殿
花塔の西側に位置します。

境内のど真ん中に巨大なガジュマルがありました。でも6本は見つけ出せませんでした:笑

六榕寺を出て古い町並みを何かします。建物が特徴的です。

なにか古い電気街のような場所がありました。昔の秋葉原の路地のようです。

道端に音響機器などが雑然と並べられて販売されています。
仏教とは無関係ですが、こちらの寺院ではよく仏教音楽のような曲を流している場所が多いので、なにか音繋がりの名残りなのかもしれません。

甜水巷小区という路地に来ました。

清末〜民国期の街路をベースに、
新中国成立後に「小区(住宅区)」として再編された地域とのことでお年寄りの方が多く歩いていました。

怡乐里~同じ時期の小区です
懐聖寺

懐聖寺(かいせいじ)に来ました。イスラム教が中国に伝来した後、最も早い時期に建立された清真寺(モスク)。
2013年に全国重点文物保護単位に指定されたそうです。

創建は唐代初期とされ、アラブの宣教師と、広州に居住していたアラブ商人が共同で建立したといわれています。

中国の海外交通史を初め建築史、イスラム教史、文化交流を示す重要資料だそうです。

中式の緑の瑠璃瓦とアラブ風を組み合わせたような「中西折衷」の建築様式は、広州が海のシルクロードの重要港として栄えた歴史を示す証拠で、且つイスラム文化と中国文化の融合を示す例です。

多数の種類の文字の碑文があります。まったく解読できませんでした(汗)

精巧で勇壮な建築物で、迫力あります。

光塔:高さは36.6メートルで円筒形。塔の中心の石の芯柱が特徴的です。唐代当時、この周辺は海に面しており、塔の明かりは珠江航路の航行標識として機能し、船が広州港へ入る際の目印となっていたそうです。

イスラム教の創始者ムハンマドを記念して「懐聖寺」と名付けられ、上記の光塔にちなみ、俗に「光塔寺」とも呼ばれました。
~後編につづく~
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