上海を始めとして中国にはアヘン戦争後に外国の支配下で商業活動などが行われた租界地がいくつかありますが、ここ広州市にも「沙面」という区域があり、西洋風の建物を多く残しています。

【Check Point】
南側は珠江に面し、それ以外は全周がお掘りのような水域に囲まれて、”小さな島”になっています。
広州地下鉄1号線、6号線:黄沙駅
広州地下鉄2号線:文化公園駅
沙面島

沙面島は横長の島(約860m)で、東西の入口以外は北側に3つ橋があります。その一つから入ります。
車両は入れません。(政府系車両を除く)

【沙面図書館】
主にイギリス・フランスによる統治が色濃く残っているで、至る場所で西洋の建築物を観ることができます。

【国民政府广播事业管理処】
(放送事業管理処跡 1912年–1949年)
国民政府の放送事業を統括する機関として利用されていました。
沙面の中でも特に古い建物のようです。
中は小さい博物館のようになっています。

南越王:趙佗の銅像でしょうか。
襲いかかってきそうな迫力でした。
古代の石像などが展示されています。
一部は画廊になっていました。
主に版画を展示販売しています。



【広東省人民政府外事事務所】
広東省人民政府の外交関連業務を行う機関

【沙面大街】
島の中央を東西に走る大通りです。
12月の訪問でしたが、花が綺麗に咲いていました。



【正金銀行(日)米国領事館】
来ました~っ!にっぽん。
外為専用の横浜正金銀行支店の跡地です。デザインも少し日本らしい気もしますが、横浜にある旧正金銀行本店の方が西洋風ですね。
第二次対戦の敗戦で中国政府に接収されたのちにアメリカの領事館として使用されたとの事。
訓読みが「まさにカネ?」 あらぁ~

公園の中央の通り(沙面大街)には数多くの銅像があります。横浜の赤い靴ではないですよ。
♫ 異ぃ~じんさんに~連ぅ~れられ~て ♫
って、実際は連れられて行ってない~そうです。この場所とは関係ないですが。。。悲しいお話。

【台湾銀行(日)】
建てられた当時の台湾は日本の統治下だったので、日本の建物の銀行だったという扱いです。

【ドイツ領事館】
一階というかベースメント?がショップになっていました。半地下なので梁に頭がぶつかりそうでした。
ショップはとても上品です。



【キリスト教沙面会堂】

中を除いたらちょうど合唱していました。
撮影はNGのような雰囲気もありましたが、皆さん周りには一切意識を向けてませんでした。
ごめんなさい。

【お茶博物館】
古代の茶器などの展示があります。
実際に様々なブレンド法で工夫された茶葉のお茶を試飲できるサービスも行われています。



【ソ連対中商務代表団広州事務所・領事館】
ソビエト連邦(ソ連)の外交および商務機関 。

【渣打銀行(英)】
イギリスの国際銀行スタンダード・チャータード銀行の広州支店跡地。沙面の租界時代において、イギリスの貿易・金融活動を支えた重要な役割を果たしました。

【スターバックス(沙面店)】
広州市のスタバの中で最も美しい店舗と言われています。
水色の建物がひと際目を惹きます!

【友好園石碑】
友好園は世界各国との友好交流を深め、「相互信頼、互恵、平等、協力」の友好精神を継承することを目的として1984年設立されました。
(baidu抜粋)

写真映えする場所は混雑でします。

【広東省外事弁公室礼賓処】
広東省政府の外事関連機関跡地
沙面全体の管理も行われていたようで、場所は沙面島のほぼど真ん中に位置しています。

【法国传教社楼旧址】
(フランス伝道会旧址)
フランスのカトリック宣教師が中国での布教活動を行うための拠点 (baidu引用)

【再び沙面大街】
花がしっかり手入れされていて、色で模様が作られています。

【ルルドカトリック聖母教会】
造りが元祖ルルドの教会(仏)と似ています。
(とは言っても写真での比較ですが)

【东方汇理银行】(跡地)
(クレディ・アグリコル・インドシナ銀行)
フランス企業の商業取引、金融業務、外貨両替などを担いました。
沙面の建物の中で美しい石造りで人気の撮影スポットだそうです。

沙面島の南東の広場です。
沙面は車両侵入禁止ですが、架橋では普通に車両が往来しています。”島の外”の扱いになっているんですね~なるほど!

スマホの地図上では、テニスコートの場所なんですが、コートはありませんでした。
しかも意味不明?のオブジェ。撮影では人気のようです。

【沙面賓館】
1960年建設の古いホテルです。一階のレストランは賑わっていました。
(アヘンで大儲けした企業の建物跡に挟まれているらしいです:笑)

【フランス租界花園】(跡地)
訪問時はオープンエアのレストランになっていました。

【フランス海軍事務所】(跡地)
19世紀末に建設され、当時のフランス海軍の広州における活動拠点として使用されていました。
(B類の保護等級)

【フランス警察署】跡
カフェになっています。おしゃれな建物なので警察という雰囲気は感じられません。
日本の警察署で未使用の跡地があれば、取調室を利用した、「個室で食べるカツ丼のお店!」ってのは商売として繁盛するんじゃない? 笑:

【通関官舎】(奥の建物)
通関官舎の敷地に鉄道車両を合体して造られたおしゃれなレストランがありました。
沙面の東端まで来ました。そろそろ引き上げます。
荔湾~西堤埠頭

【人民橋】
沙面島の東端を出ると交通用の多い人民橋があります。
橋の向こう側が”荔湾区”です。
帰るついでに観ていきましょう!

【荔湾側からみた人民橋】

【沙基事件記念碑】
1925年6月23日に発生した沙基事件の犠牲者への追悼石碑。
上海租界で発生した「五・三〇事件」を避難する広東のデモ隊が、沙基に到達した際、沙面のイギリス軍警による銃撃と、英・仏の軍艦による砲撃で50人以上が命を落としました。
(前投稿の文徳路~団一大広場と話が繋がりますね)
つい先程あるいた美しい沙面にそんな悲劇の歴史があったんですね。

【西堤埠頭】
クルーズ船が楽しめるようです。
かつて珠江を通じた広州の貿易に重要な役割を果たした埠頭だそうです。
次の写真の如く、埠頭沿いに通関や郵政の建物がある事からも想像できます。

【粤海关博物馆】
通関のたてものが博物館(国家一級)になっています。

【郵政博物館】
今回は時間が無かったのでどちらの博物館にも入りませんでしたが、次回は必ず寄ってみます。
(2025年3月現在、topページの写真はこの場所です)
租界地は上海や広州の他に厦門など他の場所にもありますが、西洋の美しい建設物が人々が楽しむレストランなどに利用されている現状と、それからは想像しがたい帝国主義の武力的制圧があったギャップの大きさが、歴史の重要性を伝えているような気がします。 失礼しました~
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