12月に入ってから広州市の公園にばかり浮気していて(笑)佛山市に後ろめたいので、一旦軌道修正も含めて地元の紹介をします。しかし広州と比較するとやっぱり田舎なんですよね~。
♫オラぁ、こんな村ぁ~ぃやだ~♫ (by吉幾三) まぁ小さな発見を求めて行ってみましょう~!

【Check Point】
最寄りは鉄道の「順徳駅」のすぐ前です。
地下鉄だと佛山3号線の「順徳人民医院駅」から3km程のです。歩くと遠いですが、河沿いの直線が散歩には適しています。
【678文化街の名称由来】
文化街エリアが全長が678mであることに由来すると言われています。
ちっちゃ!
【順徳人民医院】
順徳第一病院と南方医大病院が合体した順徳区では最大の病院です。
サッカーで目を蹴られて”眼窩骨折”した際に一度お世話になりました。思い出したくない~(痛)
下の2枚の写真は河沿いの直線散歩コース。
ランニングしている人も多いです




【順徳区~倫教村~三州村会】
(三州は村より更に一単位小さいコミュニティ)
三州村会の入口に位置する鳥居。
近所に”三州市場”があり、路上駐車の大半は市場へ買い物に来た人たちと思われます。

【倫教678文化街~入口】
地図の一番東側で一番のインスタポイントです。
(オブジェの後ろが河)

河側から見ると建物にウォールアートがありました。つる草が巻いたお隣との対照的な感じがちょっと笑えます。
村会の居住域を囲むようにU字型に水路があります。


【御波橋】(清代に建造。100年以上の歴史)
花崗岩(お墓に使う石種)を積み重ね非常に頑丈に造られています。かつて村人たちは、川の増水や水害に悩まされていて、資金を出し合ってこの橋を建設しました。「御波」という名前は、水害を克服するという意味との事。(baidu抜粋)

実際に橋を渡ってみます。
橋の先は古い建物の集落になっています。
(注:手すりがひざくらいの高さなので、酔って渡ると危ないです)

小さい廟があちこちに観られます。
横を通過時にも線香の煙が漂っていました。信仰心が強いです。

文化街に戻って西に進みます。
【革命烈士碑公園】
東側の小さな公園(広場)にあります。
烈士とはもちろん”抗日烈士”です。
あちゃぁ~(でも仕方ないですね:泣)


【錦楽飯店】(順徳郷土料理の専門店)
文化街では最も人気のある食堂です。
この店の前身は「大洲供銷社」という「人民公社食堂」の一種で社会主義改造の一環で農業協同化運動のなか造られた食堂との事。(baidu抜粋)
屋根上の鶏は地元で有名な”烏州鶏”(自然に放し飼いで育てた上質の鶏)を提供している印だと思います。(三州の北側が烏州、南側が鶏州)
とりだらけ(笑)

【二十四孝】~拾葚異器
広場にあった絵に書かれた文字を調べたら古代から伝わる二十四孝(24話の孝行伝説)の一幕でした。
ちょっといい話です
【拾葚異器】主人公:蔡順
新朝の皇帝:王莽が権力を取り天下は混乱。蔡順は母と二人の苦しい生活で、桑の実を採って飢えを凌ぐしかありませんでした。ある日、蔡順が桑の実を摘んで、黒い実(完熟)と赤い実(未熟)を別々の容器に分け入れているところに軍人が来て、なぜ分けるのか理由を訪ねました。蔡順は「黒は母のため、赤は自分で食べるため。」と答えました。その孝心に感動した軍は、蔡順を傷つけず、更に孝行するようにと約20kgのコメと牛の蹄を贈りました。(baidu抜粋:原文が長文なので簡略化しています)

【鐘山書院】(学問所)
かつて儒教教育などの学問所の役割をしていました。現在は観光客のために展示場として利用されています。訪問時には水墨画(掛け軸?)のような展示がされていました。
小さい写真ですません


【竹細工】の古い雑貨店がありました。
実用品として売れてるようにはみえなかったので民芸品かと思いましたが、手前のざるがとても大きいので未だ村では使われているのかもしれません。



【60~80年代に活躍した自転車】
(メーカー:鳳凰)
懐かしいですね。日本でも活躍してた記憶があります。”牛乳配達”とか。。。
あっ~、例えが悪かったかもです(汗)

【云喜之家】(香雲紗文化研究中心)
以前に”糸の都”で紹介した伝統の染め織物”香雲紗”の仕立てをしていました。中庭ではお茶も頂けるようでした。



【二十四孝】~天動感孝
別の伝説の絵に再び出会いました。
”像”が絵に含まれています。
(写真右端の旗は次で)
【天動感孝】主人公:舜(しゅん)
家族想いで孝行者の舜は、父親と後妻の母、異母弟の3人から邪魔者扱いされ、屋根修理では火を打たれ、井戸堀では埋め殺されそうになりながらも逃げ延びました。それにもかかわらず舜は少しも家族に恨みを抱かず、その家族孝行は天帝を感動させたと言われています。舜が農耕をしていると象が彼に代わって耕し、鳥が草を除く手伝いをしたと伝えられています。その孝行と才能を聞いた皇帝は、舜を自分の後継者に選びました。(baidu抜粋)

旗杆挟石
旗杆挟石は、科挙試験で挙人や進士に合格した者が建立できます。村の栄誉と学問を志す者たちに奮起を促す役割を果たしていました。
【678のもう一つの命名由来】
678の読み方(liu-qi-ba)は「録取吧(合格しよう)」の読みに類似しています。
なんと!

【歓姐倫教糕】~倫教糕の老舗
(倫教糕:白い甘食のような倫教の伝統食品)
順徳の飲茶では欠かせない一品。678に来たら絶対食べるべきと言われる程です。(私は美味しいとは思いませんけど:笑。いや、ここは宣伝!)
めちゃ、美味しいですよ~!

【建物写真】100年近い歴史の建物
(下2枚含む)


文化街の西端まで来ました。 678mものんびり歩くと丁度良い距離でした。壊れた水車が物悲しい~




個人的には”二十四孝”の絵が不思議と印象強くて、道教を重んじる村の人々の心に接した気がします。
三州のある倫教村は、「倫を教える」と書くので、村人の思いがまさに村名になっているのかも。
でも、やっぱり田舎だなぁ~ ここに来たいと思う方は少ないでしょうね。はははっ~ 失礼しました。
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