南头古城

park

前回更新した「中山公園」を去る際に、近くで人混みを目にして”何のイベントか?”と地図を眺めてこの場所を認識しました。南頭という地名はかつて深圳駐在時に南山区から宝安区へむかう窓口の(高速の料金所)のイメージが先行していてましたが、嶺南の文化の起点でり観光名所であであることを知り覗いてみたくなりました。行ってみましょう~!


【Check Point】
地下鉄深圳8号線の「南頭古城駅」から徒歩3分です。こちらも地下鉄の駅名がそのままです。
(中山公園の隣駅なので、中山公園駅からも徒歩で向かうことも可能です)


南側の正門です。
南頭古城と書かれた大鳥居が入口です。入場料は不要でした。

鳥居を抜けると「嶺南重鎮」と書かれた城門があります。深圳では最古の城壁跡とされています。
かつては漁村だった深圳が大都市に発展する歴史の証人として、重要な文化スポットに位置付けれれています。

城門を潜ると警備員に睨まれました。対象は私ではなく手前を走る三輪のおじさんです。警備員の立つ先は歩行者天国のようです。

脇道の路地には電動バイクが乗り入れしています。あれっ、ホコ天じゃないの?

明代、清代を象徴する建物の跡が残っていますが、殆どがお店に改造されています。以前に別の散歩で紹介した佛山市の嶺南天地のような観光地になっていましたが規模は小さめです。

”三国時代に城が築かれて以降、明・清代中期に至るまで、時代変遷を見届けてきた。特に1820年頃まで、その歴史的役割は継続していた”のような説明書きです。

古城に埋葬されたも陶器などの出土品です。

要所に歴史の展示がありました。

【広州十三行】
清代(西暦1686年)に設立された対外貿易を専門とする商行(公認商社)、その職責は、海関(税関)を代行して輸出入貨物の登録・課税・照会などを行い、外国商人と清政府との間の貿易事務を取り扱ったというもの。

1757年から1842年にかけての期間、広州十三行は清政府が唯一認めた欧米諸国との通商特区となり、中国の絹・茶・陶磁器などがここから輸出され、銀貨が流入した。広州十三行は海のシルクロードにおいて極めて重要な地位を占めた。(Baidu引用)

マネキンが怖~い(笑)

海上シルクロードの南玄関と言われる面影が建物にしっかり残っています。

商店が中心ですが、要所に歴史資料の展示があります。

牌匾 paipian(はいへん):
工業・商業において営業を宣伝する看板。看板には店名、商号、あるいは宣伝文句などが記されています。

種類は非常に豊富で、形態も多様でかつての商業・貿易活動の様相が伝わります。

【新安県衙】
この場所の中心的なスポット。
明・清両朝における新安県の行政管理機関。明の1573年)東莞県の一部を分割して新安県が設置され、広州府に属し、県城がこの地、南頭に置かれました。

隆慶六年(1572年)、巡道の劉穏が南頭を巡察した際、地元の有力者である呉祚は劉穏に対し、県の再設置を強く願い出ました。

万暦元年(1573年)、深港地域は東莞県から分離され、新たに県が設置された。県名を「新安」としたのは、「旧弊を一新し、危険を去って安定をもたらす」という意味が込められているそうです。

王来任:
1667年 新安県は廃されて東莞県に編入。南頭城内の家屋はほとんどが破壊され、人々は故郷を追われました。王来任は、住民を故郷に戻す「展界復郷」を提唱。朝廷の怒りを買い、罷免され生涯を終えましたが、来任が著した『展界復郷遺疏』は、その忠誠心と志を後世に伝えていとの事。(Baidu引用)

古代の木製馬車:
とても頑丈な造りになっていました。

こわっ!

再び、飲食店街へ。

ちょっと洒落たお茶屋さん:
「涼茶」は広東省では薬です。
風邪のひき始めの喉の痛みや、熱っぽい状態を「上火:shanghuo」と称されますが、それを沈める薬とされています。しかし、伝統的な涼茶だけでなく、若い方向けの美味しそうなブレンド飲料も販売されていました(笑)

メインの通りに点在する路地も歴史的な趣きがあります。

公祠は以前に別のコラムで紹介した通り、地域社会に貢献した人物を祭るための祠堂です。

「信国公」は南宋の抗元名臣・文天祥の封号。氏は著名な愛国詩人であり、この祠堂は文天祥を記念して建てられたもので文化保護単位に指定されています。愛国精神の継承という意味が込められているとの事(Baidu引用)

メイン通りの東側の先に城門(出口)が見えます。両脇には飲食店が並びます。

よく見かける「鶏肉の鍋煮」のお店のようですが、街中のお店はとは違って、ここは清潔感たっぷりです(笑)

東側の城門(出口)の直近に馴染みの「Mマーク」がありました。はい、敷地内にマックもあります。


過去に4年間深圳市に駐在していましたが、近所にこのような観光スポットがあることすら気付きませんでした。仕事一筋で生きていたからです(笑)私が初めて深圳市を訪問したのが、社会人3年目の1991年、日本のバブル崩壊直後です。現在は高層ビルが立ち並ぶ福田地域も舗装された道路すら少なく、たまに牛の歩く姿を見かけたりしました。華南地区の急激な発展はある意味映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーのようです。(大げさではなく)失礼しました~!


Back to strolling

コメント