碧江金楼(前編)

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中国には「金屋藏娇」(金の屋に女性を隠す)という成語があります。2000年ほど前に漢の武帝:劉徹が後の妻:陳阿嬌と結婚できるなら「彼女の為に金の屋を建てる」と言った歴史から、「女性(妻や恋人)に対する深い愛情」を表現する諺として使われているそうです。仮に財力が有ったとしても”そこまでする?”と思ってしまいます。しかし、それから長い時を経て、その成語を再現したかのような歴史が佛山市にあります。明清代の高官:蘇丕文が、”愛妻と読書”をして過ごす為の金楼(金の蔵書楼)を故郷に建てたというものです。 夫婦で読書~ぉ!ステキな話です。


【Check point】
碧江村は地下鉄の沿線から少し外れます。
佛山3号線なら北滘公園駅からテキテキで15分。

最寄り駅は高速鉄道(広州-珠海)の碧江駅から約1kmです。


【碧江村】
街中を歩くと典型的な順徳の田舎町です。
しかし、科挙に合格した多くの官司を排出した明清代の歴史があります。

【逸雲蘇公祠】
故郷に戻った高官たちの祠堂が古い民家の中に点在しているのがその歴史を物語ります。

碧江金楼

早速主題の金楼に行ってみます。入場料が15元かかります。
文化遺産に指定されていて「中国歴史文化名村」「順徳十景」などの称号があります。


嶺南の伝統的な建築が堪能できます。
すきの歯が並んだような形から「鋤歯の小道」と言われています(説明文抜粋)

【耙齿巷】

【蘇丕文の邸宅:玄関の龍眼樹】

【蘇丕文の邸宅】
なんと邸宅が鳥居と一体で造られています。
表側は「視履考祥」、裏側には「退讓明礼」と刻まれています。

説明書に「八字家訓」と書いてありました。
「行動を視て吉兆を思考し、礼を持って譲歩する」という家訓だそうです。

【香亭】
お客さまを迎えるような役割の場所と思います。

【四柱大亭】
レンガを磨いて造られた4本の柱だけで支えられ、100年以上の風雨に耐えたとの事。
(説明書き引用)

当時の陶器などが飾られています。

寝室のようです。
大きな金庫が2つもあります。
いかにも”お金持ち~”

屏風?のような造りの飾りが壁に掛けられています。写真では絵のように見えますが精巧な彫刻です。

敷地内の様々な種類の樹木

対朝】(たいちょう)

広東省の伝統的な住宅に見られる建築様式の一つで、主屋(正屋)の向かい側に、中庭(天井)を挟んで建てられる平屋。(説明書き抜粋)

対朝には多くの掛け軸などがあります。

手前は「中国夢」の三文字を一文字にして書いているのでしょうか?

漢字が難し過ぎて読めませ~ん

樹齢100年以上の木が多いとのことです。

【竹林七賢】(~の壁画)
三国時代の魏・正始年間(240年~249年)に活躍した七人の名士。
現在の河南省焦作市、(または雲台山周辺)にある竹林で酒を酌み交わし、詩を詠み、自由奔放な生活を送っていたことから「七賢」と呼ばれる。(baidu抜粋)

【伯韶医館】
蘇丕文の孫である蘇伯韶(医者)が居住し、診療を行っていた場所だそうです。

【鍋耳山壁】
(樹木の後)

賦鶴楼(金楼)

【金楼の呼び名の賦鶴楼】
この邸宅のメインの場所です。

【花轎】
紅い布が掛かっている場合は婚礼で使用されたものが多いそうです。

寝室も豪華です(下)当然ですが先程の診察を行っていた場所のものよりランクアップしています。

【二階への階段】
階段で既に金箔が貼られています。

精巧な木の彫刻の表面を磨いて、膠を介して本物の金箔を丁寧に貼っているとの事です。

【360度~金箔】
ひぇ~っ!

こんなに輝いていたら読書に集中できな~いのでは?

2階には露台があります。日当たりも良さそうでです。

金楼を建てたのだから”おしどり夫婦”を超えて、
”金鳥夫婦?”ってとこでしょうか?
って言うと仲良くない感じ。。。(汗)


【牡蠣殻の壁】(別名:殻花壁)
明清時代の珠江デルタ地方における伝統的な建築技法。川底に堆積した貝殻の残骸を建材として使用。(説明書引用)

邸宅の建築で使用された建材が紹介されていました。金楼以外の家屋もお金が掛けられた建設なのだと思います。

【扁額(牌匾はいへい)】
倉庫に多くの牌匾(額)が格納されていました。

ここにあるのは明代から約300年以上に渡るもので文化遺産です。(説明書き引用)
ものに依っては政府から贈られる場合もあるそうです。大きな権力と財力があったことが想像できます。


邸宅だけでなく外にある庭園が圧巻です。庭園は後編で紹介します。 (後編に続く)


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